アニマルライツって何?

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前回のブログではヴィーガニズムについて書きましたが、その続きで今回はそのヴィーガニズムの基盤概念となるアニマルライツ(動物の権利)についてお話ししていきたいと思います。

アニマルライツは、人権のように法によって保護されておらず、まだ私たちにとっても新しい概念です。今回のブログでは、アニマルライツは何なのか、アニマルウェルフェア(動物の福祉)の立場と比較しながら説明していきたいと思います。


1. 福祉vs 権利
2. ウェルフェアリズムの欠点
3. アニマルライツとは?
4. 社会正義運動の一つとしての動物の権利運動

 

1. 動物の福祉と権利の比較

動物を苦しみから解放させたいという立場をとっている人の考え方の中でも動物の福祉を重視している派と権利を推進しようとしている派に分かれます。どちらの立場も動物が痛みを感じる生き物だということを前提に動物の解放を目標にしていますが、多少違う点があるので比較してみましょう。


A. アニマルウェルフェア/動物の福祉

ウェルフェア/福祉は 「人々の健康や幸せ」という意味で、とくに「より良い」生活を追求する追求する為の政策などの基礎概念になっています。なので、アニマルウェルフェアの立場を取る人も、動物の苦しみや痛みを最小限に抑えることによって、彼らの生活水準や質を上げることに焦点を当てています。この立場をとっている人をウェルフェアリスト(Welfarist)・福祉主義者ともいいます。

ウェルフェアリストが主に推進している具体的な例は、

・豚の妊娠ストロールの廃止
・鶏のバタリーケージの拡大
・化学物質やホルモン剤などを使用しない“オーガニックミート”

など、既に成り立っている動物搾取産業の中でどのように動物たちの苦しみが最低限に抑えられるかということを主に焦点を当てています。つまり動物を“必要の無い苦しみ”から解放させるというのが彼らの目標です。この立場は現在多くの国での動物福祉法や愛護法などにも反映されています。


B.アニマルライツ/動物の権利

一方で、アニマルライツを擁護している人は、動物には内在する価値(Inherent value)があり、それによって動物は倫理的に守られるべき対象として認識しています。人権と同じように、動物にも他人の目標を達成する為の手段として利用されるべきではなく、彼ら自身の幸せを追求する権利(アニマルライツ)があるのです。つまり、アニマルライツを擁護している人にとって、動物のあらゆる利用・抑圧・搾取に反対し、それを生み出している産業を無くすのが目標です。この立場をとる人をAbolitionist(廃絶主義者) *1ともいいます。前回の記事でヴィーガンの人が菜食者や脱搾取派と言われることがありますが、ヴィーガンでも福祉を重視している人ももちろんいます。

ウェルフェアリストと脱搾取派の一番の違いは、前者は動物のwellbeing(良好な身体的・精神的状態)が確保されていれば動物を搾取しても良いという考えの一方、後者はいかなる人間の為の動物搾取にも反対する、というところです。

先ほどの鶏のバタリーケージの例を使うと:
ウェルフェア→ケージの拡大
脱搾取→鶏を自由に、鶏を家畜として飼うこと自体をやめる

つまり、この2つの立場と現在の動物利用産業との間でどこまで、何を妥協するべきかがポイントになると思います。


2. 動物の福祉だけじゃダメなの?

ここまで見ると、動物の福祉の方が現実的な気もします。しかしウェルフェアリストにはいくつかの欠点があります。

例えば、最近欧米では”cage-free eggs”や”free range chicken”というのがありますが、この卵はケージに入れられてない鶏の卵や食用鶏のことを指します。

ケージに入れられていない鶏って皆さんの想像ではこんな感じだと思います。

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これなら、鶏たちも幸せなのでは?と思うかもしれません。

しかし、”cage-free eggs”や”free range chicken”の現実がこれです。

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彼らは完全に、その名の通り“ケージに入れられていない”鶏です。しかもこれは法で定められた”cage-free”や”free range”の審査基準を満たしています。これから分かることは、現在の動物福祉の法律が動物への暴力に対してかなり緩いということです。

実際、現在の動物福祉の法律は、特定の動物や事件、例えばペットへの暴力などを取り扱うだけで、制度化された動物搾取に対しては、動物を守るどころか、動物を搾取する企業を社会的批判から守ったりもしています。((興味のある方は「捏造されたエコテロリズム」を参考に))

更に、カナダやアメリカの動物福祉法は動物の利用や扱いの制限や処罰について、動物を“必要ない痛みや苦しみ”や“非人道的な”扱いから守るよう記してあります。しかし、この痛みや苦しみの“必要性”や動物を扱う“人道性”は最終的には人が決めて、人の都合の良い動物利用を許しています。

例えば”必要ない痛みや苦しみを与えられるべきではない” は“必要ならば苦しめて良い”というようにも解釈できます。だから、例えもし、ケージに入れられず育てられ最終的に屠殺されても、人間の利益が動物たちの痛みや苦しみを上回れば苦しめても良い、という解釈を都合よくされるのです。

それと“人道的な扱い”ともありますが、“人間の利益の為に人道的に殺す”ことはで必ずできません。もし人間の手で動物の命を絶つのであれば、動物が病気やけがで苦しんでいて、安楽死させた方法がその動物にとってベターだと思う時だけであり、私たちが食べたり、着たり、楽しんだり、安全にモノを使用したりする為に”人道的に”殺すことは理がかなわないでしょう。

つまり、ウェルフェアリストの考え方は、必然的に人間中心の考え方となってしまうのです。

 


3. アニマルライツ

それでは、動物の権利を擁護することがどのような形で動物の利益につながるのでしょう。

人間社会では、人種や民族、性別によって差別されず、誰もが幸せに暮らす為の権利があります。例えば国連人権宣言*2では

- 差別からの解放
- 生活・自由・個人的安全をもつ権利
- 奴隷制からの解放
- 残虐な扱いからの解放
- 教育を受ける権利

が確保されています。つまり、この権利を持つこと、つまり、守られるべきだという相互理解の上で個々の幸せが確保されるようにしているのが人権です。

動物も人間と同じように、自由や安全を確保されるべきだ、というのが大まかなアニマルライツの考え方です。そうすることによって、動物を「たべもの」や「実験体」、「エンターテイメント」としてみるのではなく、彼らの本質的価値と命への尊厳に重みをおくのがアニマルライツの考えかたです。

しかし現在はまだ動物の権利は人権のように正文化されてはおらず、アニマルライツあらゆる形での搾取から動物を苦しみから解放させたいという法的、政治的、経済的、社会的立場としてみられています。

アニマルライツを擁護する人の中でも様々な立場がありますが、一般的には動物が自由に人間に搾取されず自然に生きる為の基本的権利だ、というのが共通の考え方です。


4. 社会正義運動としてのアニマルライツ

前回のブログでも書きましたが、今動物たちは人間に様々な形で、利用・抑圧・搾取されており、それは人間の有権によって成り立ち、その有権の根拠は人間が動物種の中でも“最も優れている”という意識や主観的理解によります。

つまり、人間は他の動物よりも優れているという論理のもと、私たちの動物の利用・抑圧・搾取は正当化されています。この、“種”によって個々の命を違うように扱い差別することを種差別/Speciesismといいます。

歴史上(そして現在も)存在している、性別・人種・民族・セクシュアリティが違うので差別をして良い、という思想と似たような考え方です。現在の動物の権利(又は解放)運動と関連論理に大きく影響したピーター・シンガー(1946-)は、著者『動物の解放』の中で“人種差別への根本的な反論は、種差別にも同じように当てはまる”*3と言っており、差別の構造が全て似ていることを示しています。

そのように、社会構造の中で、ある特定の(マイノリティの)人種、性別、セクシュアリティ、種に対しての差別や不平等のことをStructural Violence(構造的暴力)といいます。これによってマジョリティや有権者が社会的有利な立場に立つ一方、マイノリティは抑圧・差別され、それも正当化されるという構造が成り立っているのです。

動物の権利運動も、黒人解放運動や女性参政権運動などと同じように、差別・抑圧・搾取され続けている動物たちを解放しようという社会正義運動の1つなのです。


近年増えてきているアニマルライツムーブメント・動物の権利運動(=動物の権利を推進する社会運動)ですが、時たまアニマルライツが人権と衝突する場合もあります。

例えば、いまカナダのいくつかの地域で先住民族と”Vegans(脱搾取派)”との対立が起こっています。先ほども触れたように、脱搾取派はあらゆる形の動物の搾取に反対しており、その中で先住民の狩猟に反対し、プロテストをし先住民を抑圧している脱搾取派の人もいます。

彼らは間違いなく“種差別”のために戦っていますが、この活動自体が“人種差別”であり、正義を目指す活動としては良くない例です。

なぜかというと、北米の先住民はヨーロッパ人によって、土地も、資源も、文化も、言語も、信仰も奪われ、そのせいで現在でも貧困層に多かったり、差別されたりなど、生活に苦しんで いる人が多くいます。

それに、アニマルライツだけではなく“権利”というもの自体が西洋の概念であるのに加え、先住民の自然や動物との関係は西洋のものとは異なり、それをすでに差別・抑圧されている彼らに押し付けるのは良くない、という考え方もあります。

これについてはアニマルライツを擁護している人の中でも様々な考え方がありますが、彼らの生活や歴史背景を理解しないと全体の絵を想像するのは難しいと思います。

つまり、動物の権利の運動は社会正義運動の一つとして、様々な形の差別をなくすために活動しなければなりません。そのうえで、ある種を特別に見たり扱うのではなく、違いへの理解と多様性への尊厳が重要になってくるのです。

 

ここまで読んでくださった方々、有難うございます。質問やコメント、ご指摘などありましたら気軽にコメントしてください。

ちなみに、アニマルライツのことをもっとしりたいというかたは、6月1日に東京で行われるデモ*4へ是非ご参加ください!私も張り切っていきますよ!!!*5

 


We fight until the last cage is empty ….

 

*1:全てのアニマルライツをする人が脱搾取派とは限らない

*2:

世界人権宣言テキスト | 国連広報センター

*3:原文:“the fundamental objections to racism … apply equally to speciesism” (1990)

[PDF]Animal Liberation by Peter Singer Book Free Download (324 pages) | Blind Hypnosis

*4:動物はごはんじゃないデモ行進 参加してください!March for farm animals

*5:今回のブログでもお分かりになると思いますが、私は動物の権利の立場を取っています。しかし、アニマルライツセンターは「ケージの拡大」や「平飼い鶏(cage-free)の卵の購入の促進」などに集中しており、ウェルフェアリストの立場を度々取っているのが伺われます。ここで明確にしておきたいのが、デモへの参加=当団体の立場・考え方に100%賛成するというわけではありません。